月の窓から

Late, by myself, in the boat of myself

愛と性愛と正しさのあわいで

セックスという行為について知るよりずっと前、物心ついた頃から、男のひとと愛し合うことは夢だった。やがて男のひとと寝るようになって、恋愛と性愛の分かち難さを認識するようになった。
愛し合うことは夢だったけれど、それが身近な日常や現実においてどういうことなのか、よくわからないまま男のひとと体を重ねた。愛は難題だったけれど、セックスはわかりやすく自分を表現しコミュニケートできる行為だった。
出会いがあり、別れがあった。関係はどれも違っていた。セックスも、ひとの数だけ違った。穏やかに深く熱を交換し合い、意識が白く溶けていくようなセックスもあれば、自分がゴム人形のように感じられる、冷たいセックスもあった。

私は愛し愛されたかったから、セックスに夢中になった。相手の体を知り、自分の体を知り、悦びを探していく、セックスにおける一見献身的な努力は、創造的な冒険だった。
後でひとり泣くことがあっても、恋人という契約を交わした相手を愛してみせようと、シーツの上の戦場を諦めなかった。(それは時に、シーツの上でないこともあったけれど。)
ふたりで奏でる音がより豊かで幸福なものになるように、手探りで紡ぎ続けた。

男のひとが浮気をやめるまで与え続ければ、最後のひとりになれたこともあった。私が辛いときに連絡がつかなくなる男のひとは、避妊を拒み、ベッドの上で私の自由を奪うことを好んだ。幼い頃に夢見た愛や絆は、時折近づいたような気がしては、また遠ざかった。
関係がすぐに途切れてしまうことはなかった。ただ受け入れ向き合い続ける覚悟をもって約束をしても、幸福な時間はずっとは続かなかった。

そうしていつしか、疲れてしまった。

これこれこういうものは暴力である、女性の体を大切にするならこうすべきである、後になって「正しい性」「正しい恋愛」にまつわる情報は目に飛び込んできた。男のひとは仕方がないなぁ、そう思っていたことが、私を傷つけ損ねることだったとインターネットは言った。情熱を否定されたような気がした。愛し愛されることにも、自分が十全であることにも、自信を失った。

やがて大きな失恋を経て、私は「恋人」という約束事から遠ざかり、その後セックスからも遠ざかった。
約束事やセックスを封印すると、ひとと関わるのはずいぶん楽になった。男のひとと「ふたり」であることを諦めて、友人たちと少しずつ手をつなぐようになっていった。

そうしているうちに、また恋に落ちた。相手にはパートナーがいて、自分が選ばれないことはわかっていた。
約束や体を求めることを自分に堅く禁じて、代わりに何を求めているかもわからないまま、手を伸ばした。ささやかな会話は積み重なって、名前のないつながりになった。
彼は私を都合よく消費したりはしなかった。過去の私や未来の私を、私以上に大切にした。「正しい恋愛」でなければ、セックスも介在していなかったけれど、愛されている気がした。心のやわらかいところに触れられるようだった。

優しくされるたび、思った。
チョコレートをもらうより、チョコレートになりたいと。
やわらかい粘膜から入り込んで、甘く溶けて体の内側から満たすような、そういうものに私はなりたいと。
そうして願いを心の奥底に沈めた。

ひとり信じられるひとを見つけたら、他にも見つかる。甘い苦しみは未来への希望だった。きっともう、大切なひとを悲しませる選択はしないと思った。会いたい人に会いに行き、手探りで関係を紡ぐことをためらわなくなった。

数十分が一瞬で消し飛ぶような、甘いキスからはじめよう。逸脱も痛みも、君となら丸ごと飲み込んでしまえるよ。遠くまで行こう。そんな思いを、誰かにまっすぐに向ける日を予感しながら。

――She is「ほのあかるいエロ」の公募VOICE