月の窓から

Late, by myself, in the boat of myself

愛と性愛と正しさのあわいで

セックスという行為について知るよりずっと前、物心ついた頃から、男のひとと愛し合うことは夢だった。やがて男のひとと寝るようになって、恋愛と性愛の分かち難さを認識するようになった。
愛し合うことは夢だったけれど、それが身近な日常や現実においてどういうことなのか、よくわからないまま男のひとと体を重ねた。愛は難題だったけれど、セックスはわかりやすく自分を表現しコミュニケートできる行為だった。
出会いがあり、別れがあった。関係はどれも違っていた。セックスも、ひとの数だけ違った。穏やかに深く熱を交換し合い、意識が白く溶けていくようなセックスもあれば、自分がゴム人形のように感じられる、冷たいセックスもあった。

私は愛し愛されたかったから、セックスに夢中になった。相手の体を知り、自分の体を知り、悦びを探していく、セックスにおける一見献身的な努力は、創造的な冒険だった。
後でひとり泣くことがあっても、恋人という契約を交わした相手を愛してみせようと、シーツの上の戦場を諦めなかった。(それは時に、シーツの上でないこともあったけれど。)
ふたりで奏でる音がより豊かで幸福なものになるように、手探りで紡ぎ続けた。

男のひとが浮気をやめるまで与え続ければ、最後のひとりになれたこともあった。私が辛いときに連絡がつかなくなる男のひとは、避妊を拒み、ベッドの上で私の自由を奪うことを好んだ。幼い頃に夢見た愛や絆は、時折近づいたような気がしては、また遠ざかった。
関係がすぐに途切れてしまうことはなかった。ただ受け入れ向き合い続ける覚悟をもって約束をしても、幸福な時間はずっとは続かなかった。

そうしていつしか、疲れてしまった。

これこれこういうものは暴力である、女性の体を大切にするならこうすべきである、後になって「正しい性」「正しい恋愛」にまつわる情報は目に飛び込んできた。男のひとは仕方がないなぁ、そう思っていたことが、私を傷つけ損ねることだったとインターネットは言った。情熱を否定されたような気がした。愛し愛されることにも、自分が十全であることにも、自信を失った。

やがて大きな失恋を経て、私は「恋人」という約束事から遠ざかり、その後セックスからも遠ざかった。
約束事やセックスを封印すると、ひとと関わるのはずいぶん楽になった。男のひとと「ふたり」であることを諦めて、友人たちと少しずつ手をつなぐようになっていった。

そうしているうちに、また恋に落ちた。相手にはパートナーがいて、自分が選ばれないことはわかっていた。
約束や体を求めることを自分に堅く禁じて、代わりに何を求めているかもわからないまま、手を伸ばした。ささやかな会話は積み重なって、名前のないつながりになった。
彼は私を都合よく消費したりはしなかった。過去の私や未来の私を、私以上に大切にした。「正しい恋愛」でなければ、セックスも介在していなかったけれど、愛されている気がした。心のやわらかいところに触れられるようだった。

優しくされるたび、思った。
チョコレートをもらうより、チョコレートになりたいと。
やわらかい粘膜から入り込んで、甘く溶けて体の内側から満たすような、そういうものに私はなりたいと。
そうして願いを心の奥底に沈めた。

ひとり信じられるひとを見つけたら、他にも見つかる。甘い苦しみは未来への希望だった。きっともう、大切なひとを悲しませる選択はしないと思った。会いたい人に会いに行き、手探りで関係を紡ぐことをためらわなくなった。

数十分が一瞬で消し飛ぶような、甘いキスからはじめよう。逸脱も痛みも、君となら丸ごと飲み込んでしまえるよ。遠くまで行こう。そんな思いを、誰かにまっすぐに向ける日を予感しながら。

――She is「ほのあかるいエロ」の公募VOICE

タバコをやめた話。

「え!タバコやめたの?まいちゃんが?すごい!」
 マルグリット・デュラスに似ていると言われていた私が、タバコをやめてもうじき2年になる。
 今や同僚のタバコ休憩について行っても平然としている私だけれど、重度のタバコ依存症だった。アメリカン・スピリット・メンソールライト、一本くわえて火をつける。肺いっぱいに吸い込むと、7秒ほどで脳内のドーパミンが一斉に解放される。その快楽の中でだけ、私は生きていた。1本10分、20本、1日3時間。慢性疾患にかかり人生に絶望して以来、本数は倍になり、仕事以外のあらゆることを放棄して、廃人のようにタバコを吸っていた。
 それが生きていかなければならない、私はまだ健やかになることができる、ある日そう一念発起し、禁煙外来や各種禁煙本、自助サイト、神頼みまで、あらゆる手段を尽くして、私はタバコをやめた。
 タバコをやめると、時間ができた。渇望は3週間程度でおさまり、空白の時間だけが残った。その空白の中で、タバコがそばにあった記憶が走馬灯のように頭の中に蘇った。
 恋人と過ごした時間、バーでの一コマやベッドサイドでの一コマにはじまり、果ては幼い頃にかいだ両親のタバコのにおいまで。孤独に寄り添っていてくれた伴侶を失って、さみしさと追憶に私は呑み込まれた。
 その記憶の奔流の中で、最愛の人が教えてくれたお香のお店を思い出し、休日に訪ねてみることにした。谷中の片隅にあって、この時代に通販もしていない、小さな店だった。そして私は白檀のお香を焚くようになった。
 タバコのにおいの消えた部屋で、官能的な木の香りを焚きしめ、少しお酒を飲む。その間だけは、私は愛する人とつながっているような心地がした。
 それは悲しい記憶だったけれど、「君を愛しているんだ」と言った彼の震える声の、ぴりっと刺さるようなまっすぐな響きの向こうに、この安らかなものが確かにあったのだと、身体が言った。
 会いたいとは思わなかった。物語は終わっていた。
 傷つき失われたはずの「何か」が、記憶の海の底に冷凍保存されていて、白檀の香りはその「何か」へアクセスする鍵になった。
 タバコをやめてからの日数を数えながら、毎晩、白檀を焚いた。やがて何日経ったか数えるのを忘れるようになった頃、いつの間にか記憶は像を結ぶのをやめ、安らかな「何か」との淡いつながりだけが残った。
 私はタバコをやめた。友人たちが驚き私を讃えるたび、ほんの少しの痛みとともに笑う。愛された記憶の面影と、二度と触れることはないという喪失を、等しく携えながら。

 

――3月21日に開催された「身体を使って書くクリエイティブライティング講座」で書いたエッセイを完結させたものです。

選択するということ

「子供は親を選んで生まれてくる」「すべて自分の意志で選んだ(あるいは引き寄せた)こと」「私たちには無限の可能性と無限の選択肢がある」――選択にまつわるスピリチュアルや占い界隈の言説によくあるけれど、たとえば私はこれらの言葉に与しない。
そこで選択する、ということについて考えてみたいと思う。

「選べなかった」私たち

先日久しぶりに会った友達と、お互いの前進を確かめるように時間を過ごしたのだけれど、振り返ってひとつ重要だと思っていることに触れて、穏やかに顔を見合わせた。

「付き合う相手を選んでいいって、知らなかったんだもの」

依存症の人たちは、危ない人とそうじゃない人との見分けがつきにくいということをお話ししましたけれども、そもそも人間関係を選んでいいなんて知らないんです。
ちょっと親しくなった人にはヒミツも全部教えなきゃいけないと思ってしまう。なぜなら「自分がチョイスできる」なんて権利があると思えないし、NOと言っちゃいけない気がしているからです。だから相手から聞かれれば、実家の住所や電話番号、携帯のアドレスも全部教えてしまう。それが恐ろしい人や泥棒、お金を奪いに来る人、暴力をふるう人であっても……。極端なんです。

――「その後の不自由」上岡陽江+大嶋栄子

私たちは薬物やアルコールの依存を持っていないけれど(正確には重度のニコチン依存症、禁煙2年目)、かつて持っていたメンタリティは共通している。男で大失敗をしたり、共依存的な人間関係から逃げられなかったり。

ある晩、前日に自殺未遂をしたと言ったホームレス状態の男性と会った。本人が、話したいままに話を聴いた。その中で、本人がどのように生きたいのかを考えながら聴いた。そして、私が最初に伝えたのは、
「住む場所は、どこがいいですか?」
ということであった。ここまで落ち込んでいる人にそのように聞くと、たいていの人は、目を私に合わせてくださる。びっくりされるのである。自分たちは、お金がないし、他人に迷惑を掛けている。死んでしまった方がいい存在なのではないかと思っている人であるから、まさか、自分がどこに住みたいかといったことを聞かれるとは、想像外であるのかもしれない。私がすることは、奪われた権利を、本人のものだと確認することである。それは、生きていくための道具になり得る。

――「漂流老人ホームレス社会」森川すいめい

選択する、というのは、いろんな条件やリソース、コンディションが揃っていないと難しいことだ。
生まれた時点で不公平な采配と限られた環境の中で、「そうせざるを得なかった」「ほかになかった」と思うような状況はたびたび訪れる。
嵐の中で、一本道の向こうに死しか見えなくなることも、いくらでもある。

「人間は自分自身の歴史をつくる。だが、思うままにではない。自分で選んだ環境のもとではなくて、すぐ目の前にある、与えられた、持ちこされてきた環境のもとでつくるのである」とはマルクスの言葉らしいけれど、私がここまで重ねて生きてきた歴史の中で、どれだけ思うままの選択ができていただろう。失敗に失敗を重ねて、少しずつ上手くなってきた気はするけれど。

かつて埼玉の食品工場で働いていたときは最悪で、住みよい街だった江古田のアパートを引き払って、工場の近くに引っ越した時、ゴキブリの涌くボロボロのワンルームを選んでしまったことがあった。
会社では薄給で、悪質なセクハラとパワハラと激務の日常を過ごし、先輩の下の世話をする日々で、私は自分が快適な環境を選んでいいということも何もわからなくなっていた。
アパートの外階段からは東上線の線路が見えて、毎日ふらふらと吸い寄せられていた。
今は広い部屋でぐっすり眠り、毎晩湯船に浸かる日々を送っているけれど、このホームレスの男性の状態は、私にとっては少しも他人事ではない。

良き選択とは一体なんのことで、それはどうすれば可能なのだろう。

スピノザから

それを考える上で、以前も引用した國分功一郎さんの論じるスピノザが役に立つ。

われわれの変状がわれわれの本質によって説明できるとき、すなわち、われわれの変状がわれわれの本質を十分に表現しているとき、われわれは能動である。逆に、その個体の本質が外部からの刺激によって圧倒されてしまっている場合には、そこに起こる変状は個体の本質をほとんど表現しておらず、外部から刺激を与えたものの本質を多く表現していることになるだろう。その場合にはその個体は受動である。

――「中動態の世界」國分功一郎

この能動と受動はグラデーションで、完全な能動も受動もあり得ないが、能動を目指すことが自由への道だとスピノザは説く。

スピノザはいわゆる自由意志を否定し、人がそれを感じるのは自らを行為へともたらした原因の認識を欠いているからだと説いた。スピノザはしばしば自由を否定する哲学者だと思われている。もちろんそのようなイメージは間違っている。スピノザは『エチカ』を人間の自由のために書いた。(中略)
その自由をスピノザは次のように定義している。すなわち、自己の本性の必然性に基づいて行為する者は自由である、と。
スピノザによれば、自由は必然性と対立しない。むしろ、自らを貫く必然的な法則に基づいて、その本質を十分に表現しつつ行為するとき、われわれは自由であるのだ。ならば、自由であるためには自らを貫く必然的な法則を認識することが求められよう。自分はどのような場合にどのように変状するのか? その認識こそ、われわれが自由に近づく第一歩に他ならない。だからスピノザはやや強い言い方で、いかなる受動の状態にあろうとも、それを明晰に認識さえ出来れば、その状態から脱することができると述べた。
自由と対立するのは、必然性ではなく強制である。強制されているとは、一定の様式において存在し、作用するように他から決定されていることを言う。それはつまり、変状が自らの本質によってはほとんど説明されえない状態、行為の表現が外部の原因に占められてしまっている状態である。

易しく言い換えれば、できるだけ「わたしらしさ」に裏打ちされた選択を行うことが、自由へ近づく道であり、不自由な選択をしないためには、その「わたしらしさ」と自分の外部から受ける刺激の状況を明晰に認識し、思惟することが大切であるということだ。

ひとに助けられること

ではその「「わたしらしさ」と自分の状況を明晰に認識し思惟する」ことはどうしたらできるだろう?
私にはこれこそが受動の渦中にあっては難しいことのように思われる。
自分にとって良い選択ができた経験を思い返してみると、そこには必ず自分以外の存在の助けがあった。
最近で言うと、とあるベンチャー企業の転職エージェントに本当に救われた。
前職の日系商社に適応できず、自信を失っていた転職期間に、ツイッターのフォロワーさんに勧められて登録をしてみたところ、無料で長時間にわたるカウンセリングを行ってくれて、障害特性や職歴について整理するのを徹底的に手伝ってもらい、私に合いそうな求人を20社分用意してくれた。
自信も自尊心も粉々だったにも関わらず、チャレンジとして今勤めている会社を含む有名外資の求人も含まれていて、私はびっくりしたのだった。

ここで、「どんな仕事も全うできる自信がない」というのは、外部のことに圧倒されて自分らしさを失っている受動の状態で、自分の歴史と身体(特性)について話し合って選択肢を考えるというのは、能動の割合を増やしていく作業と言えるかもしれない。

ここ何年かで友達がたくさんできて、そんな風にびっくりすることはままある。
不倫の誘いを断ったり、暴力を含む依存をして来るような男性や、私を傷つけて喜ぶひとを遠ざけたり、そのたびに「そんな扱いをされる自分」の無価値感に苛まれはするものの、周りの人たちの後押しや優しさに支えられて、少しずつ上手になってきた。
もしかすると、尊重されるべき「わたしらしさ」を有した人間であるという前提が、ひととのつながりや対話の中で、少しずつわかってきたのかもしれない。

いずれにせよ、選択する、ということは、センシティブに扱いたい話題だ。全き自由意志で行う選択など、ありはしないのだから。

占星術に照らして

占星術における太陽について、意志である、公的な自己である、アイデンティティである、他、様々な解釈があるけれど、自由意志というのは私も存在しないと思っていて、様々な選択の中ににじみ出てしまう根源的な力学のようなものとして太陽を捉えている。
ホロスコープを輝かせるということは、スピノザの描いたような自由を目指すことなのかもしれない。
だから私たち読み手は、相手の歴史と身体に対して丁寧に触れていかなければならない。それがよりよい選択の手助けになる可能性があるのだから。

お正月と今年の目標

長い冬休みが終わりに近づいている。
年越し合計約13000字の文章を書き終えて、やっとお正月気分。

書いた13000字のうち、闘病生活の棚卸をしたのが8000字くらい。
これは約1ヶ月後にあるサイトで公開になるかもしれないし、ならないかもしれない。
残りの5000字は今年の占いで、たくさんのひとに読んでいただけたみたいでとても嬉しい。

めでたいものたち

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早咲きの椿を見に行った。
つばき。
葉の光沢や厚みから、艶葉木、厚葉木、あるいは落ちた花が刀の鍔のようであることから鍔木、など由来は諸説あるらしい。
つばきとは昔から仲が良い。
このひとたちはいつも、うつむきがちに静かな光を湛えている。

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お寺で護摩祈祷を受けた後、土産物屋で買っためでたいもの。
ぽっと灯りがともる。

今年の目標

友人に、「今年の目標は?」と聞かれて、少し思案した後、「魅力を伝えること」と答えた。
去年 ほとんど唯一褒めてもらえたのが文章だったけれど、読まれなければ沈黙と同じことだろうから、難しい。
それでもまず自分に寄り添い自分に知らしめるために、折々言葉の整形作業をすることだと思う。
思考障害があり、考えや感情がまとまらなくて、難産だけれど。

ほかにもやりたいことはいろいろあって、鑑定以外のことに注力する一年になりそうだ。
もう始まっている。

2018年の12星座占い

新年なので今年一年の占いを手慰みに書いてみる。
今年は革命の星・天王星牡羊座から牡牛座へ移動することに加えて、土星海王星、秋からは木星が本来の座に入って力を発揮する年。
専門知識はさておき、12星座占い。

牡羊座

山の頂上で受け取るかけがえのないもの

2018年の牡羊座は、約29年かけてのぼる山の頂上に立ちます。
そこでは自分の店の看板や、名刺の価値を、真に実のある盤石なものにしていくことが求められますが、同時に誰かからかけがえのないものを手渡してもらう時期でもあります。
贈り物。
それは形のあるものだったり、愛情や技術のような形のないものだったりしますが、それらを受け取れるかどうかが今年のカギになりそうです。
贈り物を正しく受け取る、とは、簡単なようで難しいことです。 お金であれ愛であれ、それを受け取るにふさわしい自覚がなければ、私たちはすぐにそれを無駄にしてしまいます。
あるいは形のないものであれば、与えられていることにすら気づけないかもしれません。
贈り物が大きいほど、あなたは自分の小ささに怖気づいたり、罪悪感を感じることもあるかもしれません。
そこにある価値に気づくこと。そしてその価値に、自らさらに命を吹き込む主体的な作業こそが、受け取る、ということなのかもしれません。
勇気を持ってその作業を始めてみましょう。

牡牛座

特別な旅の中で出会うひとびと

2018年の牡牛座には、試練の旅が待っていますが、これは一生に一度の大切な旅になるかもしれません。
今まで暮らしてきたフィールドの中から、もう一歩、あるいは二歩、遠くにある未知のなにかを見つけに行く時期です。その旅の中でたくさんの出会いが待っているでしょう。
これから約8年の時間をかけて、あなたは全く別の生き物へと劇的に変身してしまう可能性があります。
物理的な冒険であれ、知的冒険であれ、今年の旅を共にしたひとたちや、獲得した知恵は、その大変身の手がかりとなることでしょう。
宿を共にする隣人との語らいや、共に道を切り開いていく仲間との共同作業の中に、宝物が眠っています。
今年のカギは、そこで得た宝物や土産話を、自分の心の小箱の中にしまっておくのではなく、大盤振る舞いでひとに提供していくことです。
あなたの成果を待っています。

双子座

日常という祈り

2018年の双子座は、祈るように日常のルーチンをこなしていくような星回り。
その祈りの中で、静かに内的充足に向かっていくことになります。
2017年まで頼みに思っていた存在とは距離を置くことになり、ひとり思索に耽るような時間が大切になるでしょう。
朝顔を洗ったり、食事をしたり、夜歯を磨いて床に就くといった習慣のひとつひとつが、あなたに力を与えてくれます。
ここで習慣作りに関する安いアドバイスをするのは簡単ですが、それよりカギになってくることがあります。
それはその日常の中に何か「特別、普通と違う、変わった」ものを最低一つ取り入れるということです。
朝の珍しい果物のジュースでも、寝る前に火を灯す和ろうそくでも、特別なsomethingをひとつ加えてみてあげてください。
ささやかな幸せがあなたの強度を上げてくれるはずです。

蟹座

愛とeye

2018年の蟹座は、大きな愛を持ちます。
ただ、それを手渡す相手とは、安易な関係にはならないようです。
たとえば台所にひとり立ち、心を込めてケーキを焼く。その行為そのものが尊いのですが、それを特定の誰かに食べてもらうとなると、少し違う話になってきます。
空腹加減も、味の好みも、そもそも甘いものが好きかどうかも、相手次第です。
ですから、あなたは自分の生み出したものを受け取ってもらう相手をよく見つめ、どんなものを生み出していくか思案することになりそうです。
ただそのハードルに対して「生み出したい!」という意欲は枯れることなく湧いてきそうで、やり場に困りそうな時期でもあります。
そんな時はいっそ、不特定多数に向かって放り出してしまいましょう。
色とりどりの人々がいる世界に向かって自分の創造物を高らかに開示していくことで、その愛は輝きを増していくでしょう。

獅子座

物語と共同体

2018年の獅子座は、自分が何者で、誰と共に生き、どこに立っているのかを知っていくことになりそうです。
それはつまり、ひとりでいるのをやめるということです。
自分の経験に意味が与えられていない時、傷は疼き続けます。
出来事が普遍性を有するなにかの一例になっていることを見つけることが、意味づけをするということであり、物語にしていくということです。
自分の身に一回しか起きていないことが自分の歴史ですが、一般性や普遍性を見出すには複数の出来事が必要になります。
誰かと語らっていると、全く同じ出来事ではないけれど、共通のなにかが抽出されることがあります。
ひとりでいるときには傷ですが、似たような傷を持った他者とわかちあったときに意味が付与されて、それが希望になります。
そうして自分につながる誰かを知り、自分の物語をつながりの中で編纂し直していくことで、あなたは両の足でさらに力強く大地を踏みしめていくことになるでしょう。
それがひいては社会に向かって自分を打ち出していく礎となります。

乙女座

世界と出会う新しい回路

2018年の乙女座は、外の世界を捉える新しい回路を獲得していく時期です。
私たちは手元の端末や、ドアの向こうで、外の世界とコンタクトします。
その世界を捉えたり、選択したり、解釈したりする体系は様々にあり、分断の進む社会においては自分(達)とは別の仕方があることを忘れてしまいがちです。
今年の乙女座は、これまで自分の使ってきた「仕方」を一旦脇に置いて、これまで想像もしなかった新しい回路を知るチャンスです。
通勤や通学でいつもと全く違う経路を通ってみたり、書店で今まで存在すら気に留めていなかった棚を見てみたり、SNSで目に飛び込んできたイベントに行ってみるなど、いつもと違う領域に寄り道をしてみるといいでしょう。
そこで自分の手足が思い切り伸ばせそうなやり方を見つけたら、沼に飛び込むようにまずは徹底的にハマってみることです。

天秤座

不満を解き放つ丁寧な方法

2018年の天秤座は、丁寧なやり方で自分を解き放っていくときです。
今の生活、今の自分にあなたは満足していますか?
大満足、概ね満足、不満である、もうすべてから逃げ出したい、回答はいろいろかと思います。
が、今年はこの「不満足である自分に気づく」ということがカギになってきます。
トヨタが生み出した生産の運用方式(トヨタ式)にカイゼンというものがありますが、封建的な企業から、カイゼン文化が定着している企業に転職すると、カルチャーショックを受けるようです。
不便で非効率な業務フローに奴隷のように従うしかなかった環境から、不満に気づいて各々改良していいと言われると、はじめはびっくりします。
が、徐々に自分の「楽」を追求することが、自分の価値すらあげてくれることに、喜びを感じるようになるかもしれません。
それは仕事に限った話ではなく、あらゆる場面で言えること。
初心者が不満に気づくコツは、共感できる、なにかを変えようとしている誰かの信念を見つけることです。
導かれるようにDIYを始めてみましょう。

蠍座

再デビュー

2018年の蠍座は、世界に向かって再デビューしていくことになりそう。
12年の成長サイクルの最初の年で、これまでより広い視野で物事を考え、問いを立てて、まだ見ぬ世界を開拓していくことになります。
様々な逡巡や、後ろめたさ、自信のなさは意識の外で、楽観的な気持ちで世界に飛び込んで行けそうです。
そして自己紹介をしたり、自分の考えを表明していくことになるのですが、そこには必ず死角が生じます。
あなたの存在に向けられてくる言葉は、必ずしも好意的なものばかりとは限らず、見落としや苦手に関するフィードバックも必ず生じてくるでしょう。
ですが今年の蠍座は、そういう「欠け」の部分も含めて自分を表現していくことができるはずです。
そこにもしかしたら美しさが宿っているかもしれません。
スタートダッシュを決めましょう。

射手座

試練のあと

2018年の射手座は、禊と決算を行う時期です。
これまで重い荷物を背負っていた人も、今年はそれを一度おろして、まずは温泉にでも浸かりに行きましょう。
そうしてゆっくり期し方行く末を思う余裕が必要です。
転職を考える人もいるかもしれません。
心残りややり残したことはないか?と、折々振り返ってみましょう。
そしてそれを日常の中で、ひとつずつ丁寧にクリアして身軽になっていくことが、来年からの飛躍につながります。
自分一人でできることの限界もまた、見えてくるかもしれず、余裕を生み出すには、何も考えずに甘えられる相手が必要かもしれません。
コツはそれを、「たったひとりの誰か」にしてしまわないことです。

山羊座

愛と希望と夢と理想

2018年の山羊座は、愛や希望や夢や理想といった、世界のキラキラしたものについて本気になりましょう。
あなたは大きな未来を作り出す力を持った王になるのです。
描き出した輝くものをドラマティックに語ることも、今年のあなたにはできるはずです。
もともと時間をかけてなにかを形にすることに長けたあなたですが、実行力や忍耐力がパワーアップします。
同志や仲間にも恵まれ、深い絆を築いていけそうです。
世界があなたを待っています。

水瓶座

大躍進と新たな計画の始まり

2018年の水瓶座は、大躍進の時。
それと同時に、3年後の一大転機に向けて静かに準備を始める時。
これまで機会に恵まれなかったひとも、長年の苦労が報われて、大活躍できそうです。
キャリアアップに最適の時です。
と同時に、3年後のさらに特別なチャンスに向けて準備を始める時です。
この時には、今までの戦い方は通用しなくなっているかもしれず、今がすべてを出し切る時とも言えるでしょう。
また、引っ越しを考える時期にもなりそうです。
この引っ越しも、3年後への準備の一環だと思ってみてください。
くれぐれも、働きすぎには気を付けて。

魚座

遠く広く見えてくる景色

2018年の魚座は、視界が開けて、以前より幅広いものの見方ができそうです。
レベルの高い集団に入って厳しいと感じることがあっても、自然と調和していけそう。
見識を広めるなかで、人間力のベースアップをはかっていくことになるようです。
どんな領域のことを学ぶにしろ、それは「慈愛」とでも呼ぶべき徳を育てる材料になります。
もともと共感力が高いあなたですが、それはさらにしなやかさを持った能力になっていきそうです。
しなやかな共感力。それは相手と同化して溺れてしまうこととは違い、視線を高く保ったまま降りていくことのできる力です。
学びにおいては宗教や哲学といった分野がおすすめですが、海外旅行もおすすめです。
本物の人間力を育ててみてください。

性被害に関するいくつかの提言

インターネットは大概騒がしいものだけれど、最近の大きなトピックとして #metoo発信、 伊藤詩織さん、はあちゅうさん、をはじめとした性被害の告発ブームがあるだろう。 伊藤詩織さんにしろはあちゅうさんにしろ、巨悪に立ち向かう勧善懲悪のストーリーがそこにはある。 その祭りに熱狂する人たちを少し遠目に眺めながら、新たな分断が起こっているのを感じている。

声を上げる/上げないという分断

先日、私がサポーターをやっているNPO法人soarの初カンファレンスに行ってきた。 soarは「人の持つ可能性が広がる瞬間を捉え、伝えていくメディア」を掲げて活動しているwebメディアだ。

soar-world.com

soarの優しい青空のようなスロージャーナリズムのもとに集う人はとてもあたたかく、誰かが言っていたけれど、他人と自分の境界の感じ方が普通ではないひとが多いのかもしれない。そのあたたかい場で、震えながら声を上げてくれたLGBTのカウンセラーの男性たちと、泣きながらスティグマやカミングアウトの危険の話をした。

ゲイであることを公表してメディアに出ると、殺害予告が届くのだという。

東京オリンピックに向けてLGBTの生きやすい社会づくりの機運が高まっているけれど、それでも表に出るということには、命の危険すらあって、この流れがカミングアウトのプレッシャーになっていないかと慮る声があった。アウティングで命を絶ってしまった一橋大学の学生のことが思い出される。そのリスクを取っても取らなくても、そのひとがそのひとであることの重みに変わりはないのだということについてこそ、私という立場からは声を上げなければならないと思う。

soarにしろ、今勤めている会社にしろ、限られた場だけに自分をとどめていても生き切ることはできるけれど、一歩その外に出れば違う現実が待っている。性暴力被害について、「声を上げない人間は弱い」という捉え方をしているひとがいて、叫び出しそうに心が痛んだ。

いま苦しんでいるひとたちへ

「生きていてくれてありがとう。ここまで、生き延びてくれてありがとう。あなたは強く美しい。」

生々しい性被害の描写と賞揚と、セカンドレイプが踊るインターネットの嵐のなかで、声もなくフラッシュバックに苦しんでいる人たちひとりひとりに、そう伝えなければいけない。

私も新卒で入った会社で3年間、悪質な性被害にあって、その後の不自由を生きている人間の一人だ。
政府や電通のような巨悪ではなく、かつて小さな会社とひとりで戦って負け、身内からセカンドレイプを受け、いじめに遭い、発病した。

誰かがそう言ってくれないと、壊れてしまいそうだから、代わりに私は私に通じる誰かにそう伝えなければいけない。

いま苦しい人は、「安全な場所で、安全な人に相談ができる場所」が必ずあるから、そういう場所にどうかたどり着いてほしい。

sarc-tokyo.org

soar-world.com

あるいは私に連絡をくれてもいい。あなたの大切な歴史の話をしよう。物語を紡ごう。

青空のように伸びやかに笑うやり方も、戦い方も、決してひとつではないのだということを、忘れないでほしい。

暴力の連鎖について

はあちゅうさんが過去に女性経験のない男性を揶揄していたことや、加害男性に別の女性を紹介していたことが批判の対象になっている。

美談でなければならないのなら、ほとんどの傷ついた人は救われないだろう。

ある日突然、自分が暴力の被害にあう。そんな想像をしながら生きるという人は少ないと思います。また、自分が大切にしたい人を傷つけてしまう加害者になることを想像しながら生きる人も、同じように少ないだろうと思います。(中略)上岡さんは、重い暴力、激しい暴力にさらされた人ほど被害体験だけでなく加害体験をもっていると言います。(中略)ですから“健全な市民”から「暴力反対!」と言われると、彼らは自分のなかの加害者性を含めて、自分自身を否定しなくてはいけなくなります。
どのような理由があるにせよ、いかなる暴力も許されるものではありません。ましてやその暴力によって本当に長いあいだ被害者が苦しみ、健康を害されていく様子には強い憤りを覚えます。ところがその一方で、自身も暴力の被害を生き延びながら、結果として同じ関係を加害者として繰り返している人に会うと、私は引き裂かれる感じに襲われます。「暴力反対!」というフレーズやスローガンにうなずきつつ、同時にそこからは“はずれてしまう”人たちのことを思うからです。
このように考えると、被害と加害は対極にあるものというより、ちょうど細い二本の糸が縒り合さって一本の糸のように「分かちがたく結びついている」という表現がしっくりくるのです。

――「その後の不自由」上岡陽江+大嶋栄子

この相似形は世の中の至る所にあって、はあちゅうさんだけでなく私もまた強い加害者性を孕んだ虐待と暴力の被害者だ。
この本にはそういう人にとっての回復を考える上で助けになることがたくさん書かれているし、身近にそういうひとがあらわれた時の参考にもなるので、ぜひ読んでみてほしい。
本書ではこの後、支援は加害行為とつきあうことであり、コントロールできない怒りでひとを傷つけることで、被害者である加害者は深く傷つくため、それをできるだけ起こさせないように苦心したという事例が述べられている。

大切にしていることがある。
それはたとえば、責任を問うことより、問題を切り分け、私自身がその連鎖から抜け出す訓練をすること。

回復とは回復し続けること。だけれど、至らないから無力だと思わず、一歩踏み出すこと。

生き延びた「私たち」の手のつなぎ方

絶望しても、ひとのぬくもりのある方へと、手を伸ばすことをやめなかったし、これからもやめてはいけないと思う。友人の家で昼寝をしているとき、いろいろうまくできないけれど、とりあえず今は幸せだなと感じる。
弱いつながりを作り続けて、世界に受け入れられているような心地のする居場所が、今はちゃんとある。友人たち、お客さん、同僚、いろんな身近な人たちが、自分を見失いそうなとき、私が誰かを教えてくれる。

ひとは結構簡単に転んだり、落っこちたりしてしまう。声もなく。だから手をつなごう、と、折に触れて確かめる。

思い出すのも辛い出来事をスピークアウトするひとたちのことも、あるいは、小さな声で打ち明けてくれるひとのことも、もし近くにいたら、どうかひとりにしないでほしい。

たくさんのひとに支えられて、ここから私はさらなる回復を目指す。

サイボーグの町と獅子座の火星の話

2017年も終わりが近づく今日この頃、来年の占星術的な話題といえば天王星の牡牛座入りが筆頭だろう。
天王星の移動といえば、2011年の震災の翌日に牡羊座入りしたことから、予言的な言説が流布していたと聞く。
占星術のイベントと出来事の間に、「影響」という言葉は私は基本的には使わない。
けれど、この7年というひとつの時代は、私個人にとって震災とのシンクロニシティから始まっていて、あれからどこまで来たのか、ここからどこへ向かうのか考える上で、もう一度東北を歩きたいと思った(そのシンクロニシティについては、また別の話にしたいと思う)。
今年の9月のことだ。
ちょうど2011年5月にボランティアで行った石巻を舞台にした芸術祭、Reborn-Art Festivalの初回が行われている時期で、人生何度目かの夜行バスに乗ってひとり北へと向かった。
別段発信目的ではなかったので、取るべき写真が取れていないところも多いけれど、出会った景色をつづっていこうと思う。

サイボーグの町

早朝バスを降りて、潮の香りの中、まだ眠っている町を抜けて日和山公園に向かった。ここは高台にあり津波被災地が見渡せる場所で、多くの命を救った石段のまわりには、たくさんのひまわりが植えられていた。

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高台から見える景色。震災の2か月後に訪れた時から、6年でここまできれいになったとも言えるし、なにもない更地の多さに、この先重ねていくだろう時間の長さもまた思われた。

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日中、シュタイナーの黒板ドローイングをはじめとした展示や、町の景色を見て回った。サイボーグ009の像が町のそこここにあり、石ノ森萬画館も訪れたが、石巻の町の景色そのものがまるでサイボーグのようだった。
災害の前から残っている古い建物と、がらんとした景色の中で、かさぶたを剝がしたての真新しい皮膚のように舗装された道路、ときおりあらわれるデザインセンスに優れた土産物屋や、コミュニティスペースを兼ねたカフェなど、新しくて色鮮やかなものが、災害の爪痕に入り込んで根をはっている、不思議な町になっていた。
ちょうど過酷な土地に生命力の強い植物が蔓延っているかのようだった。

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地元の人たちの話

夜、地元の人の話を聞きに行く。小さなドアをくぐって、「ひとりです」と言うと、店主の女性が「私もひとり!」と答えてくれた。

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看板猫PISCESのいるバー。店主に聞くと、自分は魚座なのだとかわいらしく笑った。

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店のトイレには、マッサージやヒーリングといった、いわゆる野の医者の連絡先がたくさん張り出されていた。
話を聞くと、なにもなくなって、みんな貧しくなったのだという。店主にとっては、酒の仕入れ値の値上がりが目下の懸案事項らしい。
震災後、大きめのお金だけが渡されて、それをうまく使うことができたひとはあまりいないのだと。

津波を生き延びて、それからたくさんのひとが貧しさと過労で死んでいったという。とりわけ寿司屋が借金を抱えて多く亡くなったと。彼女自身も過労で入院していた時期があるそうだ。津波で亡くなったひとの家族にはお金が出たが、そうやって生き延びる過程で亡くなったひとの家にはお金が出ず、途方に暮れているという。

辻占いもやぶさかではないと思っていたのだけれど、なんとなくそれは違う気がして、テレビを見ながらのんびりお酒を飲んで料理を食べた。ふかしたじゃがいもにいかの塩辛をのせたおつまみがとても熱くて、美味しくて、美味しくて、「ねぇ、これ、とても美味しいです」と笑うと、店主は「わぁ、それはよかった、料理を食べてもらってね、美味しいって言ってもらうことが、生きる力になるの」と笑った。

店の壁にはお客さんの写真が飾ってあって、震災後に定期的に来てくれるようになったひとたちの話をしてくれた。「なにもなくなったけれど、新しく得たものもね、たくさんあるの」と語る店主の表情は、光と影のコントラストが鮮やかだった。

2軒目は創作料理を出す人気店で、金曜の夜なのもあってか満席で1時間半時間をつぶしての入店だった。

すみのえ。日本酒の品ぞろえもよく、それなりの値段の付いた手の込んだ料理を出す店で、店内は明るかった。

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明日アートフェスを見て回ると言うと、若い店員たちが口々に見どころを教えてくれた。

Reborn-Art Festival、地元の人たちからの支持が非常に高く、その話をするとみんな表情に火がともっていた。祭りとしての役割が非常に強い祭りだと感じた。

その晩、1日に受ける刺激が閾値をオーバーしてしまい、いつもと違う寝床で眠れずにtwitterに書き込みをすると、友達から、ねむれるよ、とおまじないが返ってきた。私は思わず、「ありがとう。愛してる。」と返した。
愛してる。言葉で伝えると、気持ちが楽になって、意識は眠りの中へ落ちて行った。

アートフェスと巨大な白い壁

夜が明け、バスツアーで展示を見て回った。生命力と祈りを感じる作品たちにたくさん出会うことができた。一部の写真を並べてみる。

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牡鹿半島へ向かうバスの中から、5メートルを超える巨大な防潮堤が見えた。写真が取れなかったのは不覚だったけれど、海が見えないほどの白い壁がそびえたつ海岸線は、異様で禍々しさすら感じた。
津波海王星なら、防潮堤はさしずめ土星なのだろうけれど、その様子は境界を侵して襲ってきた死への恐怖と、傷ついた心の象徴のようだった。
もう二度と、悪い夢を見ないように、目の届かないところへ封印してしまおう、という悲痛な叫びのようにも見えて、それはいろいろな記憶を封じ込めて生き延びた私の心象風景でもある。

少し自分の話をしよう。この6年の間に、私は統合失調症という悪夢のような病に侵され(それはちょうど海王星的な病だった)、運よく医療につながり生きながらえ、いろいろなひとの力を借りて、土星のかさぶたができて回復したけれど、脳には障害が残っている。急性期の地獄のような症状が再燃しないように、再燃しても軽度で済むようにと、気休め程度の服薬を続けていて、それはもし量が過剰であったなら、ちょうどこの防潮堤のようだろうと思った。

この防潮堤をめぐっては様々な議論があり、住民からも反対の声はあるようだ。

生のほとりに死は当然あって、海という死者の領域から漁師たちは生きる糧を得て暮らしてきた。海を封じ込めようとすることは、神経症的で、自然への冒涜かもしれない。

それでも私は、自分で「異様だ」と感じたこの光景を、一概に批判することはできない。正気と狂気の境界線はフラットであいまいで、踏み越える時に自分で気づくことすらできなかった。そこにもし堅牢な壁が作れるのであればと、願わなくもないからだ。

闘病生活中、薬を欠かさず飲むことが、回復には大切だと聞かされた私は、お守りのように草間彌生の絵が描かれたお菓子の缶に薬を入れて、日付を書いたメモをそばにおいて、毎晩、○をつけて暮らした。薬の副作用のパーキンソンで、ボロボロの惨めな姿になっても、主治医と協力して薬量をコントロールしながら、明日の回復を信じ続け、半年でリハビリが開始できるところまで回復した。

この病は慢性疾患で、病識を持つことが重要な病だ。ひとは自分が病んでいるとは普通は思いたくないもので、薬に対する偏見も当たり前にあり(日頃ほとんど忘れているけれど、ときおりまざまざと突きつけられて愕然とすることがある)、多くの人が一度回復した後に「もう治った」と勝手な断薬をし、初発より酷いかたちでの再発を迎える。そして激しい症状に脳はさらにダメージを負うことになる。

主治医は、もし調子が良ければ薬を外すことも考慮していると言うけれど、私がそこに挑戦するのはいつになるだろう。それはもしかすると、恐怖を克服してもう一度海(海王星的なもの)と共に生きるすべを見つけたころかもしれない。

いつかまた来る地震津波と病気の再発。視界の外に追いやっても、それは、そこにある。ただしいつになるかはわからない。およそ100人にひとりあると言われる、慣れた不安の種を連れて、花や月を見て、笑ったり泣いたり息をしている。

火星は獅子座を運行していた

前の晩、飲み屋の若い店員に話を聞いて、楽しみにしていた展示があった。

「今回唯一の地元出身のアーティストの展示で、ホテルの屋上をネオンサインで飾り付けて、そこでね、カラオケができるんです!85点越えると、キーホルダーがもらえるんです!わーって!声を出して!すごい元気が出るんです!!ぜひ歌ってみてください!!!」

興奮に身体を震わせながら、そう語る様子にはっとして、そういえば、火星が獅子座を運行しているのを思い出したのだった。

そしてその展示は…

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時間の関係で、入り口しか見ることができなかった。

このネオンサインの向こうに、喜びや、身震いが、きっとあったのだろう。それは宿題のように私には感じられた。

祭り。鮮やかな色々。料理を作ること。愛していると伝えること。大きな声で歌うこと。心臓の脈打つ音。生きていく力。

大きすぎる世界の前で、吹けば飛ぶように自分の命を感じているけれど、きっとこの手で火を灯そう。来る新しい時代へ向けて、そんな思いを手に、東京へ向かう電車に乗り込んだのだった。