月の窓から

Late, by myself, in the boat of myself

のぼることとおりること。あるいは世界を変える方法と、変えられないことについて。

自己紹介を兼ねて。

最近の私は昼間、世界を変える仕事をしている。
具体的には決済サービスを普及させる仕事をしていて、これは本当に幸運な巡り合わせだった。
なにしろ数クリックで寄付ができる世界を作ることは、あの震災直後からの念願だったからだ。
あの頃の私は、友人たちと被災地に乗り込んで、小さな力でガレキをひとつづつ片付けることくらいしかできなかった。
大きな夢を描いたけれど、自分の力ではどうにもならなかった。
誰がそれをやるのかは、問題じゃない、そう思った私は、その夢をインターネットの空に放った後、眠りの海へと沈めた。
今は偶然大きな力の一部になるという幸運に恵まれて、そういう夢がときどき叶う仕事をしている。

それはより高いところを目指す共同体の夢と、戦う共同体のこと、あるいは世界を変える方法について。

そこにあるのは"I solve."という水瓶座のテーマだ。
土星の突きつけてくる現実を水瓶座は誰よりもよく見つめていて、それでもその現実に基づいて理想の未来を描き続ける。

God, give us grace?to accept with serenity
the things that cannot be changed,
Courage to change the things
which should be changed,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other.
神よ、恩寵を私に与えて下さい
変えられないものを静穏に受け入れるために
与えて下さい
変えるべきものを変える勇気を
そして、変えられないものと変えるべきものを
区別する賢さを私に与えて下さい


これはアルコール依存症自助グループ「アルコホーリクス・アノニマス(AA)」による回復プログラム、「12ステップ・プログラム」に採用され広く知られるようになった、「ニーバーの祈り」の一節だ。
未来に向かって何かを変えることを思い続けて、企業活動という船の乗組員になることでそこに参与できるようになったけれど、それでは、受け入れるべき変えられないものは、どこに行ってしまったのだろう?
あるいはなにかの一部ではない、裸の私はどこに行ってしまったのだろう?

「意志が未来を主張することは、人間に過去の忘却を強いるということであり、それによって思考は、そのもっとも重要な活動であるan-denkenすなわち回想を奪われてしまう」。
意志は絶対的な始まりであることを主張する。いや、そう主張していなくとも、そうでないならば意志は意志ではありえないのだった。だが、そのような絶対的な始まりがありうるとはとても思えない。
「意志が始まりを所有したことなどあったためしがない」。
にもかかわらず人はそのような意志をもとうとする。そのとき、いったい何が起こるか? そこに起こるのは「過去の忘却」である。
意志しようとするとき、人は過ぎ去ったことから目を背け、歴史を忘れ、ただ未来だけを志向し、何ごとからも切り離された始まりであろうとする。(中略)
ハイデッガーはつまり、意志することは忘れようとすることだと述べている。

――國分功一郎「中動態の世界 意志と責任の考古学」より


私は変えられない「在った」である過去を、憎しみのあまり忘れてしまったようだ。
時折襲ってくる過去の感情から逃げるように、よく眠る。
自分が誰であるかも、心がどこにあるかも、月の泉に沈めたまま。

泉にひとり船を浮かべて、それらの手触りを取り戻すこと。

それは解決不可能ななにかの方へ、おりていくことについて。