月の窓から

Late, by myself, in the boat of myself

タバコをやめた話。

「え!タバコやめたの?まいちゃんが?すごい!」
 マルグリット・デュラスに似ていると言われていた私が、タバコをやめてもうじき2年になる。
 今や同僚のタバコ休憩について行っても平然としている私だけれど、重度のタバコ依存症だった。アメリカン・スピリット・メンソールライト、一本くわえて火をつける。肺いっぱいに吸い込むと、7秒ほどで脳内のドーパミンが一斉に解放される。その快楽の中でだけ、私は生きていた。1本10分、20本、1日3時間。慢性疾患にかかり人生に絶望して以来、本数は倍になり、仕事以外のあらゆることを放棄して、廃人のようにタバコを吸っていた。
 それが生きていかなければならない、私はまだ健やかになることができる、ある日そう一念発起し、禁煙外来や各種禁煙本、自助サイト、神頼みまで、あらゆる手段を尽くして、私はタバコをやめた。
 タバコをやめると、時間ができた。渇望は3週間程度でおさまり、空白の時間だけが残った。その空白の中で、タバコがそばにあった記憶が走馬灯のように頭の中に蘇った。
 恋人と過ごした時間、バーでの一コマやベッドサイドでの一コマにはじまり、果ては幼い頃にかいだ両親のタバコのにおいまで。孤独に寄り添っていてくれた伴侶を失って、さみしさと追憶に私は呑み込まれた。
 その記憶の奔流の中で、最愛の人が教えてくれたお香のお店を思い出し、休日に訪ねてみることにした。谷中の片隅にあって、この時代に通販もしていない、小さな店だった。そして私は白檀のお香を焚くようになった。
 タバコのにおいの消えた部屋で、官能的な木の香りを焚きしめ、少しお酒を飲む。その間だけは、私は愛する人とつながっているような心地がした。
 それは悲しい記憶だったけれど、「君を愛しているんだ」と言った彼の震える声の、ぴりっと刺さるようなまっすぐな響きの向こうに、この安らかなものが確かにあったのだと、身体が言った。
 会いたいとは思わなかった。物語は終わっていた。
 傷つき失われたはずの「何か」が、記憶の海の底に冷凍保存されていて、白檀の香りはその「何か」へアクセスする鍵になった。
 タバコをやめてからの日数を数えながら、毎晩、白檀を焚いた。やがて何日経ったか数えるのを忘れるようになった頃、いつの間にか記憶は像を結ぶのをやめ、安らかな「何か」との淡いつながりだけが残った。
 私はタバコをやめた。友人たちが驚き私を讃えるたび、ほんの少しの痛みとともに笑う。愛された記憶の面影と、二度と触れることはないという喪失を、等しく携えながら。

 

――3月21日に開催された「身体を使って書くクリエイティブライティング講座」で書いたエッセイを完結させたものです。