月の窓から

Late, by myself, in the boat of myself

サイボーグの町と獅子座の火星の話

2017年も終わりが近づく今日この頃、来年の占星術的な話題といえば天王星の牡牛座入りが筆頭だろう。
天王星の移動といえば、2011年の震災の翌日に牡羊座入りしたことから、予言的な言説が流布していたと聞く。
占星術のイベントと出来事の間に、「影響」という言葉は私は基本的には使わない。
けれど、この7年というひとつの時代は、私個人にとって震災とのシンクロニシティから始まっていて、あれからどこまで来たのか、ここからどこへ向かうのか考える上で、もう一度東北を歩きたいと思った(そのシンクロニシティについては、また別の話にしたいと思う)。
今年の9月のことだ。
ちょうど2011年5月にボランティアで行った石巻を舞台にした芸術祭、Reborn-Art Festivalの初回が行われている時期で、人生何度目かの夜行バスに乗ってひとり北へと向かった。
別段発信目的ではなかったので、取るべき写真が取れていないところも多いけれど、出会った景色をつづっていこうと思う。

サイボーグの町

早朝バスを降りて、潮の香りの中、まだ眠っている町を抜けて日和山公園に向かった。ここは高台にあり津波被災地が見渡せる場所で、多くの命を救った石段のまわりには、たくさんのひまわりが植えられていた。

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高台から見える景色。震災の2か月後に訪れた時から、6年でここまできれいになったとも言えるし、なにもない更地の多さに、この先重ねていくだろう時間の長さもまた思われた。

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日中、シュタイナーの黒板ドローイングをはじめとした展示や、町の景色を見て回った。サイボーグ009の像が町のそこここにあり、石ノ森萬画館も訪れたが、石巻の町の景色そのものがまるでサイボーグのようだった。
災害の前から残っている古い建物と、がらんとした景色の中で、かさぶたを剝がしたての真新しい皮膚のように舗装された道路、ときおりあらわれるデザインセンスに優れた土産物屋や、コミュニティスペースを兼ねたカフェなど、新しくて色鮮やかなものが、災害の爪痕に入り込んで根をはっている、不思議な町になっていた。
ちょうど過酷な土地に生命力の強い植物が蔓延っているかのようだった。

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地元の人たちの話

夜、地元の人の話を聞きに行く。小さなドアをくぐって、「ひとりです」と言うと、店主の女性が「私もひとり!」と答えてくれた。

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看板猫PISCESのいるバー。店主に聞くと、自分は魚座なのだとかわいらしく笑った。

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店のトイレには、マッサージやヒーリングといった、いわゆる野の医者の連絡先がたくさん張り出されていた。
話を聞くと、なにもなくなって、みんな貧しくなったのだという。店主にとっては、酒の仕入れ値の値上がりが目下の懸案事項らしい。
震災後、大きめのお金だけが渡されて、それをうまく使うことができたひとはあまりいないのだと。

津波を生き延びて、それからたくさんのひとが貧しさと過労で死んでいったという。とりわけ寿司屋が借金を抱えて多く亡くなったと。彼女自身も過労で入院していた時期があるそうだ。津波で亡くなったひとの家族にはお金が出たが、そうやって生き延びる過程で亡くなったひとの家にはお金が出ず、途方に暮れているという。

辻占いもやぶさかではないと思っていたのだけれど、なんとなくそれは違う気がして、テレビを見ながらのんびりお酒を飲んで料理を食べた。ふかしたじゃがいもにいかの塩辛をのせたおつまみがとても熱くて、美味しくて、美味しくて、「ねぇ、これ、とても美味しいです」と笑うと、店主は「わぁ、それはよかった、料理を食べてもらってね、美味しいって言ってもらうことが、生きる力になるの」と笑った。

店の壁にはお客さんの写真が飾ってあって、震災後に定期的に来てくれるようになったひとたちの話をしてくれた。「なにもなくなったけれど、新しく得たものもね、たくさんあるの」と語る店主の表情は、光と影のコントラストが鮮やかだった。

2軒目は創作料理を出す人気店で、金曜の夜なのもあってか満席で1時間半時間をつぶしての入店だった。

すみのえ。日本酒の品ぞろえもよく、それなりの値段の付いた手の込んだ料理を出す店で、店内は明るかった。

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明日アートフェスを見て回ると言うと、若い店員たちが口々に見どころを教えてくれた。

Reborn-Art Festival、地元の人たちからの支持が非常に高く、その話をするとみんな表情に火がともっていた。祭りとしての役割が非常に強い祭りだと感じた。

その晩、1日に受ける刺激が閾値をオーバーしてしまい、いつもと違う寝床で眠れずにtwitterに書き込みをすると、友達から、ねむれるよ、とおまじないが返ってきた。私は思わず、「ありがとう。愛してる。」と返した。
愛してる。言葉で伝えると、気持ちが楽になって、意識は眠りの中へ落ちて行った。

アートフェスと巨大な白い壁

夜が明け、バスツアーで展示を見て回った。生命力と祈りを感じる作品たちにたくさん出会うことができた。一部の写真を並べてみる。

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牡鹿半島へ向かうバスの中から、5メートルを超える巨大な防潮堤が見えた。写真が取れなかったのは不覚だったけれど、海が見えないほどの白い壁がそびえたつ海岸線は、異様で禍々しさすら感じた。
津波海王星なら、防潮堤はさしずめ土星なのだろうけれど、その様子は境界を侵して襲ってきた死への恐怖と、傷ついた心の象徴のようだった。
もう二度と、悪い夢を見ないように、目の届かないところへ封印してしまおう、という悲痛な叫びのようにも見えて、それはいろいろな記憶を封じ込めて生き延びた私の心象風景でもある。

少し自分の話をしよう。この6年の間に、私は統合失調症という悪夢のような病に侵され(それはちょうど海王星的な病だった)、運よく医療につながり生きながらえ、いろいろなひとの力を借りて、土星のかさぶたができて回復したけれど、脳には障害が残っている。急性期の地獄のような症状が再燃しないように、再燃しても軽度で済むようにと、気休め程度の服薬を続けていて、それはもし量が過剰であったなら、ちょうどこの防潮堤のようだろうと思った。

この防潮堤をめぐっては様々な議論があり、住民からも反対の声はあるようだ。

生のほとりに死は当然あって、海という死者の領域から漁師たちは生きる糧を得て暮らしてきた。海を封じ込めようとすることは、神経症的で、自然への冒涜かもしれない。

それでも私は、自分で「異様だ」と感じたこの光景を、一概に批判することはできない。正気と狂気の境界線はフラットであいまいで、踏み越える時に自分で気づくことすらできなかった。そこにもし堅牢な壁が作れるのであればと、願わなくもないからだ。

闘病生活中、薬を欠かさず飲むことが、回復には大切だと聞かされた私は、お守りのように草間彌生の絵が描かれたお菓子の缶に薬を入れて、日付を書いたメモをそばにおいて、毎晩、○をつけて暮らした。薬の副作用のパーキンソンで、ボロボロの惨めな姿になっても、主治医と協力して薬量をコントロールしながら、明日の回復を信じ続け、半年でリハビリが開始できるところまで回復した。

この病は慢性疾患で、病識を持つことが重要な病だ。ひとは自分が病んでいるとは普通は思いたくないもので、薬に対する偏見も当たり前にあり(日頃ほとんど忘れているけれど、ときおりまざまざと突きつけられて愕然とすることがある)、多くの人が一度回復した後に「もう治った」と勝手な断薬をし、初発より酷いかたちでの再発を迎える。そして激しい症状に脳はさらにダメージを負うことになる。

主治医は、もし調子が良ければ薬を外すことも考慮していると言うけれど、私がそこに挑戦するのはいつになるだろう。それはもしかすると、恐怖を克服してもう一度海(海王星的なもの)と共に生きるすべを見つけたころかもしれない。

いつかまた来る地震津波と病気の再発。視界の外に追いやっても、それは、そこにある。ただしいつになるかはわからない。およそ100人にひとりあると言われる、慣れた不安の種を連れて、花や月を見て、笑ったり泣いたり息をしている。

火星は獅子座を運行していた

前の晩、飲み屋の若い店員に話を聞いて、楽しみにしていた展示があった。

「今回唯一の地元出身のアーティストの展示で、ホテルの屋上をネオンサインで飾り付けて、そこでね、カラオケができるんです!85点越えると、キーホルダーがもらえるんです!わーって!声を出して!すごい元気が出るんです!!ぜひ歌ってみてください!!!」

興奮に身体を震わせながら、そう語る様子にはっとして、そういえば、火星が獅子座を運行しているのを思い出したのだった。

そしてその展示は…

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時間の関係で、入り口しか見ることができなかった。

このネオンサインの向こうに、喜びや、身震いが、きっとあったのだろう。それは宿題のように私には感じられた。

祭り。鮮やかな色々。料理を作ること。愛していると伝えること。大きな声で歌うこと。心臓の脈打つ音。生きていく力。

大きすぎる世界の前で、吹けば飛ぶように自分の命を感じているけれど、きっとこの手で火を灯そう。来る新しい時代へ向けて、そんな思いを手に、東京へ向かう電車に乗り込んだのだった。